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小京都・飛騨高山は、天正十三年(1585年)の豊臣秀吉公配下・金森長近公の入府・高山城築城以来、金森氏六代の開発により、中世城下町として確立されました。
二代高山城主・金森可重の長男であり、千利休の子、道安に師事し、独自の茶道「宗和流」を開花させた金森宗和も飛騨高山の文化に大きな影響を与えた茶人であります。
金森氏は城下町を整えて、京都になぞらえ、東山に寺院群を設け、様々な商業・文化の振興を積極的に行いました。
元禄五年(1692年)の金森氏出羽国移封後の飛騨は、徳川幕府の直轄地となり、明治維新までを直轄地天領として、江戸文化の影響を色濃く吸収していきました。
金森氏が育んだ京文化と、天領として育まれた江戸文化が融合し、飛騨高山は独自の文化を熟成していきました。
絢爛豪華な祭り屋台である山車(だし)と、1000人もの祭り行列が壮麗な高山祭は、その文化の融合・熟成の成果と言えるでしょう。
飛騨乃酒「山車」(さんしゃ)は、江戸末期安政二年(1855年)に、徳川幕府直轄地「飛騨」の旧城下町「三之町」にて酒造業を開始いたしました。
元々は隣町「国府」の「打江の庄」の庄屋であったそうです。
京都に近い灘・伏見の酒造りにいち早く注目した初代当主・打江屋長五郎は庄屋から酒屋へ事業転換すべく懸命に酒造りに専念したと伝わっております。
以来、江戸・明治・昭和の激動の時代を十代にわたり清酒醸造を守り続けてきました。
代々その技術に研鑽を重ね、淡麗である一方で、しっかりとした芳醇な米の旨みを兼ね備えた「山車」独自の風味の豊かさを「奥伝 飛騨流厳冬寒造り」にて醸しだしております。
飛騨乃酒「山車」は、高山祭の絢爛豪華な祭り屋台「山車=だし」から、「山車=さんしゃ」の清酒銘柄をいただきました。
四百年かかって融合・熟成した京文化と江戸文化が飛騨乃酒「山車」にもしっかりと根付き、融合・熟成しているのです。
豊富で清冽な北アルプス伏流水と良質の飛騨産米を原料に、厳しい冬季寒仕込みによりじっくりと醸しだされた味わいを四百年の時の浪漫と共にお楽しみ下さい。
山車蔵元 十代目打江屋長五郎 原田勝由樹 |
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